2007年7月28日土曜日

オーバ最後の夜



3週間も居たなんて信じられない。
この週末は(また)お祭です。
イルミネーションがとてもきれい。
明日はフランス。一週間ほどのんびりしてからロンドンに帰ります。

カルぺの港



漁師さんが港に帰ってきたところ

オーバのマーケット


すごく素朴なマーケット。
毎週水曜日に開かれます。

桃太郎君のサンドウィッチ


プールの方から「マミィ!」
何事かと思って見に行ったらこれ。
「僕はサンドウィッチ」
子供って馬鹿みたいなことで喜ぶ不思議な生き物。

2007年7月24日火曜日

レモン


オーバの町のあちこちにレモンの木が生えています。
落ちて腐っているレモンがたくさんあるということは、誰も捥いでいないということ?
ということは取り放題。
あまりすっぱくありません。
完熟だからかしら?

お魚屋さん


タウンハウスのあるオーバは海から20分ほどのドライブです。
町にもお魚屋さんがありますが、新鮮なものが欲しい時は港まで買いに行きます。
地中海のお魚はいわしやマグロ、エビやかにも獲れるようです。
カルぺのお魚屋さんは午後4時開店。ハヴィアでは午後6時。
ロンドンでは夜明けに開店なので随分違います。

セルフケータリング


セルフケータリングは自炊のこと。
スペインのタウンハウスではお食事はプールサイドで。
紙製のテーブルクロスとナプキンがホリデーらしいでしょう?
このおうちには大きなお皿がなくてディナーのお皿は自宅の半分のサイズです。
桃太郎君のコメント「マミィ、何でサイドプレートでごはん?」
ティムちゃんによると、このサイズのお皿のことをベーコンプレートと呼ぶそうです。

エビの盛り合わせ


これで60ユーロ。さすがスペイン。
イセエビとロブスター、手長エビに車えび、名前の判らないエビも。
ロンドンで同じものを頼んだら一体いくらするかしら?

2007年7月19日木曜日

パエリア・スペイン


これで二人前。
パエリアはこの浅いおなべの名前でもあります。
一人前10ユーロ前後という値段。
この黄色は着色料を使っています。
おうちでサフランを使ってパエリアを作っても、どうしてもこの色にならないので、スペイン人に聞いてみました。
胡椒と似たようなビンに入って似たような値段で売っています。
スペインのどんなスーパーでも手に入ります。
ヴァレンシア地方が本場です。
シーフードというイメージがありますが、ヴァレンシアで注文するとウサギのお肉が入っています。

カルぺのレストラン・スペイン


カルぺのビーチ沿いにはシーフードレストランがいっぱい。
ディスプレイも見事。
ロブスターやイセエビが並んでいます。
パエリアとシーフードの盛り合わせを頼みました。

2007年7月18日水曜日

カルぺの海岸


ここのビーチは二重丸。
サンベッドはフランスの三分の一。

オリーヴァの海岸・スペイン


ヴィラのお手伝いさんが薦めてくれたので行ってきました。
でもビーチに何を求めるかは人それぞれ。
いい砂だし、きれいだけど・・・ツマンナイ。
新たなビーチを探してまたドライヴ。

ニベアクリーム・スペイン


スペインの小さなお店で見つけたクリーム。
限定発売?

2007年7月15日日曜日

ホリデー


観光ガイドが仕事なので、自分のホリデーは観光なしです。

お気に入りの音楽を聴いて、桃太郎君が楽しんでいるのを見て、ただのんびりします。

ビーチボールがお隣の庭に飛び込んでしまいました。

カシアちゃんは175センチあるのでこんな時便利です。

2007年7月14日土曜日

オーバのお祭


オーバでは7月の13,14,15日はキリスト教関係のお祭があります。

グーグルしてみてもよくわからないので、きっとこの町の教会のお祭でしょう。

町の中心を十字架を抱えた人たちが練り歩くのですが、ゴッドファーザーの映画を思い浮かべると近いものがあります。

厳粛な面持ちで町中の人たちが歩いているので、少し怖い感じです。

2007年7月13日金曜日

お肉屋さんのウインドウ・スペイン


スペイン人は豚肉が大好き。
これはオーバのお肉屋さんのディスプレイ。
豚の頭の一部だけど、わかる?
まつげが見えるかな?

ハヴィア・スペイン


ハヴィアは漁港です。
魚の卸市場に行ってきました。
たくさんのお魚がここで取引されているそうです。


オーバのヴィラ・スペイン


ヴィラというよりタウンハウス。
町の広場から徒歩2分という立地なのにプールが付いています。
桃太郎君と遊び相手のカシアちゃんはプールが大好き。


2007年7月11日水曜日

ポブレット・スペイン

ポブロットのホテルでディナー。前菜にはかつおのサラダを頼んだのに、出てきたらマグロでした。
ボニート・・・・?
でもメインは美味しかった。
下は飲んだワイン。
なかなか。急いで見つけた割にはホテルもレストランも合格。すっごく安いしね。
http://www.masiadelcadet.com



ドライブ・フランス・スペイン

後ろの座席では桃太郎君もカシアちゃんもぐっすり。子供達ってよく寝る。
ポブレットの街並み。お散歩してから晩御飯。

ドライブ

南仏到着が予定よりもかなり遅れたので、コスタブランカに降りる途中にもう一泊することにしました。ミシェランを持ってきているので、メボシイ場所を探して即予約。
去年ティムちゃんに買ってもらったジャックもドライブ。


景色が南仏?
空気が澄んでいてとても素敵。
今日はポブレットという街に泊まります。

南仏に到着・フランス

モートレイルから降りたのは次の日の朝。ストライキの関係でひとつ手前、トゥーールースに到着。

駅での朝ごはん。モートレイル代に含まれています。でも1200ポンドも払ったのに・・・。

おまけに列車が遅れたので、列車の中で(有料で)軽食は済ませた後。まあいいけどね。


モートレイル・フランス



これがモートレイルの列車、寝台車です。


中はこんな感じ。 上が桃太郎君、下は桃太郎君の遊び相手、ポーランドから来ているカシアちゃん。

2007年7月6日金曜日

Euro tunnel


Inside train. It'll be only 35mins to cross the Channel.

ユーロトンネルは英仏海峡をつなぐ海底トンネルのの名前ですが、これを使って車両を運ぶサービスの名前にもなっています。
トンネルの中を車が走ると思っている人も多いんだけど、違います。
電車のフェリー版、といった感じで車を列車に積んで、列車がトンネルをくぐります。
お天気に左右されないことと、スピードのために私がよく利用するサービスです。
料金は時期や車種にもよりますが、今回ホリデー時期に利用するにもかかわらず、半年ほど前に予約したので300ポンド弱でした。
早朝、深夜、日帰りなどでは50ポンドぐらいの便もあります。
この写真は私たちの車の助手席から撮りました。
フラッシュの撮影は火災報知器の誤作動の原因になるので禁止です。
35分でフランス。

2007年7月5日木曜日

ホリデー


明日から一ヶ月ホリデーです。

ということで準備に大忙し、

今年はユーロトンネルを使って英仏海峡を渡って、カレーからモートレイルを使いナルボンヌまで出ます。

これは電車のフェリー版といったところ。

夜カレーを出発して朝起きたら南仏です。

寝台車になっています。

次は高速を飛ばしてスペインへ。

コスタブランカで3週間、南仏に戻って1週間、そしてのんびり帰国です。

プールつきのヴィラを借りているのでのんびり自炊です。

たまにはレストランにも出掛けるのでまた写真をアップします。

去年買ってもらったくまちゃんのジャックも連れて行きます。

ジャックは去年ホテルにおいていかれて郵便でイギリスに到着しました。

今年は忘れないようにしないと・・・。

標準時間


流通が盛んではなかった時代には、世界というのはその人の住んでいる教区の外側を指す場合はまれでした。
そのような世界では、物の価値や単位というのは、その地域でさえ通用すればいい訳です。
時間にしても、住んでいる場所の太陽が一番高いときが昼でいいわけです。
ところが鉄道の発達したヴィクトリア時代には、町によって時間が違うと、時刻表が利用できません。
そこでまず、国の中で時間を合わせる必要が出てきました。
時間を合わせるということで私たちが思い浮かべるのはグリニッチ標準時間です。
ここが子午線のひとつになったのは1675年に天文台が作られた時ですが、英国の法律で標準時間と定められたのは1855年というから驚きです。
ここで私たちは少し考えてみる必要があります。
ある一定の場所の時間を標準にするためには、持ち運びのできる、精巧な時計が必要になります。
グリニッチに天文台が置かれた時には、まだそのような精密な時計は発明されていませんでした。
それでは標準時間を他の場所に知らせることができるだけの、正確な時計はいつ出来たのでしょうか?
英国では海運事故が相次いだ18世紀初めに2万ポンド(現在の価値で2百万ポンド)の賞金を出してアイディアを募りました。
そしてこの賞金を手にしたのはジョン・ハリソンという名前の知られていない職工だったのです。
彼の作り上げた、そして改良を重ねた、H1型からH4型までの時計はグリニッチ天文台の博物館に展示されています。
この彼の功績によって、とうとう私たちは標準時間を他の場所で利用することが出来るようになって、また、それによって航海中の位置という、目印のない場所の確定が可能になりました。
時の王様はジョージ3世です。
彼は自然が大好きで、農業を楽しむためにリッチモンドの周りに土地を買い集め、また金星の観測の為に1769年に王様の天文台を近くに作りました。
彼はこの「キングス・オブサーバトリー」を通る子午線を王の時間と定めて、早速最新の時計によって、国会議事堂とホースガーズ・プレイスの時間が決められました。
英国ではこれが法律で定められたオリジナルの標準子午線です。
写真はこの子午線の記念碑。
小さな白い建物がキングスオブザーバトリー、今は貸事務所として使われています。

英国で使われている長さの単位、フィートやインチなども、もともとは人間の体の一部が基準になっていましたから、場所によって差がありました。
既に12世紀ごろから国内の長さの基準を統一しようとの試みがあって、ヘンリー1世は自分の鼻から指先までを1ヤードに定めたり、建築家として有名なクリストファーレンは、振り幅が1秒の振り子の長さなどのアイディアを出しています。
19世紀にはヤード原器が作られて、国会議事堂に保管されていましたが、1834年の火災で焼失した後、1855年に新しいものが作り直されました。
他の国でも18世紀末ごろから世界で共通の長さの単位という考えがでてきます。フランスの国会でもこの問題は取り上げられて、3つの案からの選択となります。
赤道の距離を利用、北極から赤道までの距離の利用、イギリス提案の振り幅が1秒の振り子の長さ、の3つです。フランスの学会では、時間という別の要素が関係しないこと、測量がしやすい事の2点から、北極から赤道までの緯度の長さから単位を得ることに決定しました。
数年をかけて調査隊がダンカークからバルセロナまでの測量の結果を利用してこの距離を計算し、その一千万分の一に当る、メートルの単位が1798年に決定しました。
イギリスではナポレオン戦争中と言うこともあって、この結果には何の興味も示しませんでした。
ところがそのほかの国々では1851年のロンドン万国博覧会、続いてパリの万国博覧会などの国際的な集まりを経て、世界で通用する基準を求めて1875年にパリで「メートル条約」が17カ国の参加の上調印されます。その席上でパリ時間を世界の標準時間にすることも話題に上りますが、決定は別の国際会議に譲ることになったのです。
そしていよいよ1884年にワシントンDCで国際子午線会議が、ラテンアメリカ10カ国、ヨーロッパ10カ国に加えてアメリカ、日本、リベリア、オットーマン帝国、ハワイ王国の合計25カ国の参加で開かれました。
一ヶ月にわたる話し合いの結果22票を集めたグリニッチ子午線が世界の標準時と決められたのです。
これに反対したのはドミニカ共和国でフランスとブラジルは棄権しました。
イギリスは気をよくしてこの年にメートル条約に調印しましたが、フランスがグリニッチ標準時間を認めたのは1911年のことでした。
いまだにフランスの一部のガイドブックでは、パリの子午線が世界で最初の標準子午線だと書いたものが存在して、一般の人たちを混乱させています。

2007年7月3日火曜日

グラスゴーのテロ事件


ロンドンで未遂に終わった事件の翌日、6月30日午後3時過ぎ、スコットランドのグラスゴーで炎上したジープが空港ターミナルビルに突っ込むという事件が起こりました。
最初のニュースを聞いたときには「何て素人っぽいテロだろう」というのが正直な感想でした。
犯人の二人組みはあっけなく逮捕され、ロンドンの件で触発された位に思っていましたが、様相が変わってきました。
7月1日、2日を通して続々逮捕者が出ていますが(3日朝の段階で9人)殆どがお医者様や医療関係者だというのです。
クラスで教養の程度が全く異なる英国ではかなりショッキングな発見です。
これまではテロに関わる人間というのは洗脳された無教養な大人か、情緒不安定な理想主義の若者というイメージでした。
ところが今回の事件ではこのカテゴリーには入らない人たちが関わっていた(と当局はみている)わけです。
幸いにもけが人すら出ていない事件ですが、余波は広がりそうです。